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2026/01/18 20:48

アンティークジュエリー蒐集家の間で、ダイヤモンドやエメラルドといった貴石のように、またはそれ以上に熱狂的な支持を集める素材があります。
それが、19世紀ボヘミアで誕生した変色ガラス「サフィレット(Saphiret)」です。
独特なココアブラウンの中に、幻想的なブルーのシラーが浮かび上がるその姿は、現代の技術をもってしても完全な再現は不可能とされています。本記事では、サフィレットの歴史的背景、科学的な成分分析、そして混同されやすい「サフィリーン」や「現代版変色ガラス」との違いについて、客観的なデータに基づいて解説したいと思います。

1. サフィレットの定義と歴史的背景
サフィレットとは、19世紀中頃(1860年代)から20世紀初頭にかけて、現在のチェコ共和国にあたるボヘミア地方ヤブロネツ(Jablonec)で製造された変色ガラスの一種です。
誕生の経緯
アンティークジュエリーが華やかなりしヴィクトリア朝、ボヘミアのガラス職人たちは、宝石に代わる新たな装飾素材の開発に心血を注いでいました。その過程で偶然、あるいは高度な調合の結果として生まれたのがサフィレットです。このガラスは、主にブローチ、ネックレス、ボタンなどのルース(裸石)として加工され、当時のヨーロッパ全土へ輸出されました。
製造の終焉
20世紀初頭、第一次世界大戦の勃発や世界恐慌による経済の変化に伴い、サフィレットの製造は突如として途絶えました。その背景として有力視されているのが、発色の要因となる「金(Au)を含む成分」を使用していた点です。金を用いたガラス製造はコストが高く、また配合比率や熱処理に高度な技術を要したため、結果として製造の継続が困難になったと考えられています。また、ある説では一部の限られた職人家系でのみ秘伝として受け継がれていたレシピは、戦乱の中で失われたとされています。アンティークサフィレットは今日、「ロスト・テクノロジー(失われた技術)」の一つに数えられています。

2. 科学的分析:なぜ「青いシラー」が発生するのか
サフィレットの最大の特徴である、ブラウンの中に宿る青い光(シラー)の正体は、長年「ヒ素によるもの」との俗説が信じられてきました。しかし、近年の高度な分析機器による調査で、その科学的真実が明らかになっています。

金コロイドによる光の散乱
GIA(Gemological Institute of America)が発表した分析報告では、調査対象となったサフィレットにおいて、発色要因として「金(Au)コロイド」の存在が示唆されています。
• 成分組成: 酸化鉛(PbO)を30%以上含むクリスタルガラスをベースに、極微量の金が添加されています。
• 物理的現象: 溶けたガラスの中で金がナノメートル単位の粒子(コロイド)として凝集し、特定の熱処理を加えることで、光の波長を散乱させる「表面プラズモン共振」を引き起こします。これにより、ブラウンの補色にあたる鮮烈な「エレクトリック・ブルー」が特定の角度で反射されます。
• 鉛の役割: 鉛を多く含むことで屈折率が高まり、内部で散乱した光をより鋭く表面へ透過させる効果を生んでいます。
【出典】
Gems & Gemology, Winter 2009, Vol. 45, No. 4, p. 293 (GIA)
Non-destructive chemical analysis of Victorian glass artifacts (2015)
3.カットや表面仕上げ 形状の違い
サフィレットは、その独特なカットや表面仕上げによって「青い光(シラー)」の表情が劇的に変わります。特に「ファセットタイプ」と「フロスト(マット)タイプ」は、コレクターの間でも評価や好みが分かれる重要な分類です。

(1) ファセットタイプ(多面カット)
宝石のように多面的なカットが施されたタイプです。ヴィクトリア朝のアンティークジュエリーに最も多く見られます。
• 輝きの特徴:光がカット面で複雑に屈折するため、「鋭く閃くようなブルー」が特徴です。ココアブラウンの底から、雷光のようなエレクトリック・ブルーが特定の角度で強く放たれます。
• 視覚効果:透明度が高く、光を全方向から取り込んでキラキラと輝くため、非常に華やかな印象を与えます。
• 希少性:アンティークサフィレットの中では比較的流通していますが、手研磨(ハンドカット)によるエッジの立ち方が美しいものや、多数のパーツを組み上げてつくられたもの、濃いブルーや薄いブルーの煌めきのあるものなど、個性が際立つものは現在も高値で取引されます。

(2)フロストタイプ(マット・サテン仕上げ)
表面にあえて細かな凹凸をつけ、曇りガラス状に仕上げたタイプです。「マットサフィレット」とも呼ばれます。
• 輝きの特徴:ファセットのような鋭い光ではなく、石全体が「内側から灯るように青く発光している」といった幻想的な輝きを放ちます。
• 視覚効果:光が表面で乱反射・拡散するため、色彩がマイルドになり、霧の中にオーロラを閉じ込めたようなミステリアスな質感が生まれます。
• 希少性:近年、状態の良いものは急激な高騰を続けるファセットタイプに比べて、価格は上昇傾向でも安定している印象です。19世紀末のアール・ヌーヴォー期の三つ葉や四つ葉、花などのモチーフを目にします。

4. サフィレットとサフィリーン・現代版変色ガラスの違い
アンティークジュエリー市場において、サフィレットと非常によく似た「サフィリーン(Saphirine)」という素材が存在します。これらは製造年代も組成も異なる別物です。また最近はサフィレットに似た変色ガラスもつくられています。以下特徴をまとめました。
(1)アンティーク・サフィレット(1860s - 1930s(諸説あり))
視覚的特徴: 深いココアブラウン、または落ち着いたモーヴ(紫がかった茶色)。シラーは鋭い「エレクトリック・ブルー」で、石の奥底から湧き上がるように見えます。
物理的特徴: 100年以上の時を経ているため、カットの角(稜線)がわずかに摩耗し、指で触れると滑らか(まろやか)な質感があります。
比重: 鉛を多く含むため、見た目以上に「ずっしりとした重み」があります。
(2)サフィリーン(1950s - 1960s(諸説あり))
1950年代にドイツなどで作られたサフィレットの再現試作品です。
視覚的特徴: サフィレットよりも透明度が高く、ベースカラーはピンクブラウンやパープルに近い明るい色味です。
成分の違い: 金は使用されず、コバルトや酸化鉄などの金属酸化物を用いた着色が多く見られます。そのため、発色や変色の印象はアンティーク・サフィレットとは異なる傾向があります。変色のコントラストがアンティークほど劇的ではありません。
製法: プレス成型(型抜き)された個体が多く、裏面に型の跡が残っている場合があります。
(3)現代版変色ガラス(21世紀)
近年、ネオジムなどのレアアース(希土類元素)を用いて作られたものや、各々が試行錯誤の上、素材の調合を行って誕生した、新しいガラスです。
変色要因の違い: 現代の変色ガラスは、多くの場合「光源の種類(カラーチェンジ)」で色が変わります。
太陽光・白熱灯下:ラベンダー、ピンクブラウン
蛍光灯・LED下:鮮やかなブルー、グリーン
エッジの鋭さ: 現代の精密な機械研磨により、カットの角がカミソリのように鋭利で、アンティーク特有の摩耗が見られません。
5. サフィリーンや現代版変色ガラスとの識別方法
近年、サフィレットに似た「現代版変色ガラス」を自作する作家やメーカーも増えています。アンティークジュエリーとしての真正性を見極めるには、以下の3点に注目する必要があります。
(1)エッジの摩耗具合(ファセットタイプ): アンティークは約100年以上の年月を経ているため、カットの角(稜線)がわずかに丸みを帯び、滑らかな質感を持ちます。現代のものはエッジが非常に鋭利で、指に引っかかるような鋭さがあります。
(2)セッティング(台座)の時代背景:ルース(裸石)が本物であっても、後年に現代の枠にセットし直されたもの(リメイク品)も存在します。アンティークジュエリーとしての価値を重視する場合、台座の彫金技術、真鍮の酸化具合、クラスプ(留め具)の形状が19世紀の様式と一致するかを精査する必要があります。
(3)比重(重さ): アンティークは酸化鉛を豊富に含むため、手に取った際に大きさの割に「ずっしりとした重み」を感じます。現代の無鉛ガラス(鉛フリー)は比較的軽く感じられます。

6. 世界中に広がるコレクター市場と価値
サフィレットがこれほどまでにアンティークジュエリー愛好家を惹きつける理由は、単なる希少性だけではありません。
唯一無二の個体差
当時の製造技術は手作業に頼る部分が大きく、一石ごとに金の含有量や冷却速度が異なります。そのため、一つひとつ青の出方やベースカラーの濃淡が異なり、「自分だけの唯一無二のガラス」を見つける喜びがコレクターの情熱を掻き立てています。
投資的価値と希少性
製造が停止してから100年程経過しており、現存する在庫は減る一方です。特に日本、アメリカ、フランス、イギリスの市場では非常に人気が高く、状態の良い完品(チップや欠けのないもの)は、市場では年々評価が高まり、数年前と比較して大幅に価格が上昇する例も確認されています。
7. まとめ:アンティークジュエリーとしてのサフィレット
サフィレットは、19世紀の工芸技術、化学的偶然、そして美への執着が融合して生まれた「奇跡のガラス」です。ココアブラウンの中に宿る青い閃光は、失われた時代の誇りと技術を今に伝えています。
アンティークジュエリーを手に取ることは、その歴史の一部を受け継ぐことです。サフィレットという稀有な素材について正しい知識を持つことは、「本物」を後世に繋いでゆくために大切なことといえるでしょう。
【出典・参考文献】
GIA (Gemological Institute of America): Gems & Gemology, Volume 45, Number 4 (Winter 2009), "Saphiret Glass" section, p. 293.
Corning Museum of Glass: Journal of Glass Studies, Historical glass coloring techniques.
Materials Research Society: Symposium Proceedings on Ancient and Historical Glass.
Antique Collector's Club: Victorian Jewelry: Design and Manufacture.
National Heisey Glass Museum: Reference on vintage glass coloring agents.
本記事に記載している内容は、公開されている学術文献、博物館資料、宝石学的研究報告、およびアンティークジュエリー市場における一般的な見解をもとに構成しています。ただし、アンティークガラスおよびアンティークジュエリーは、製造年代・工房・配合・保存状態により個体差が非常に大きい素材であり、すべての事例に完全に当てはまるものではありません。
特に、サフィレット、サフィリーン、ならびに類似する変色ガラスの識別については、外観や肉眼観察のみで確定的な判断を行うことは困難であり、最終的な材質・年代・成分の特定には、宝石鑑別機関による科学的検査等が必要となる場合があります。
本記事は、アンティークジュエリーに対する理解を深めるための情報提供を目的としており、特定の個体についての真贋・材質・価値を保証するものではありません。
※bluette antique では、アンティークという性質上、素材や年代については検討を行った上で記載しています。また、必要に応じて鑑別機関の結果や追加情報を明記するよう努めています。
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